今日は、2018年4月28日(土)。
世間はたのしいゴールデンウィークです。
今年の桜は今日現在、東北地方の一部と北海道で開花状態にあり、それ以外の地域はすでに花が散って、青葉を元気よく伸ばしています。
毎年3月から4月は人の動きが盛んになります。
入学した人、卒業した人、入社した人、退職した人。
転勤した人や、親や家族の転勤にともなって、引越しや転校した人もいますね。
人が新しい環境に移ったり、動いたりしていると、動いている本人には当然変化が生じますが、「動いていない人」の心もまた動きます。
このままここにいていいんだろうか。
こんなことしていていいんだろうか。
これからどうなるんだろう。
どうすればいいんだろう。
自分だけが何も変わっていない。
入学式へ向かう人やその家族、着慣れていないスーツをきた人が、キラキラしてみえて、思わず目をそらしてしまう経験をした人もいるのではないかと思います。
少し前、舗道を埋めつくしていた、美しい桜の花を直視できなかった人もいると思います。
桜の花はとても華やかで、新しい門出を祝うかのように文字どおり花を添えてくれますが、一方、前を向いて歩きづらい状況にいる人には、その美しさと自分の気持ちの差をいやでも感じさせるものでもあります。
桜は花の役目が終わり散ると、青葉があとを追いかけ、夏を迎える7月から8月にかけて、花芽という芽をつけます。
ここから翌年花を咲かせるための準備に入りますが、桜の木全体では、花が散った後、すぐに次の準備がはじまっているようにも思えます。
いまから何かを準備しても少し芽が出るのが7月から8月。花が咲くのは一年後。
人によって、準備する何かによって、その期間は変わってきます。
「何をすればいいかわからない」という人、ものすごくわかります。
僕なりの結論。
「なんでもいいので、いつもと違うことをひとつする」。
これでいいのではないでしょうか。朝の散歩でも、習いごとをするでもなんでもいいと思います。その「いつもと違うこと」自体は、多分たいして意味を持ちません。
でも、いつも(これまで)と違うことを毎日でも週に1回でもひとつし続けると、必ずやそこから派生するものが出てきます。
そこに、意外や意外、求めていたものがあったりするんですよね。
「それわかる!」という人、きっといると思います。
やっかいなのは、直接そこには辿りつけない仕組みになっているということです。ショートカットもないし、直接いくこともできないけど、1つか2つ道を迂回して経由することでいけるようになるという。
「なにこのシステム」という感じですが、なんかそんなものみたいです。
「遠回りは一番の近道」という意味が今までまったくわかりませんでしたが、このことなんじゃないかと最近思います。
井上陽水さんの「夢の中へ」の一節、「探すのをやめたとき、みつかることもよくある話で」というのは、「関係ない別のことをしていたらみつかる」ということですよね。
やっぱり「違うことをひとつする」ではないでしょうか。
違うことをひとつだけして、ほんの少し前に進みつづけると、その途中途中に散りばめられたヒントに導かれて、2019年、桜の木の下で花を見上げることができるかもしれません。
夏にはまだ小さくて見えないかもしれないけど、確実に芽は出ています。